1度しか味わえないその時間

2019.07.08

LEICA M Typ240 / Voigtlander NOKTON Classic 35mm F1.4 SC

いつかバキバキに鍛えて20代の頃の自分を超えてみせる。そんな風に「いつか」に甘えて口笛を吹いていたら、膝の半月板水平断裂という早すぎる老化がやってきて恐れおののいた。ついでに奥歯の1つがダメになって入れ歯にすることになり、安易な予想より20年も早い老いという大きなパンチをまともに食らって少々落ち込んだ。医者に打ってもらった膝へのヒアルロン酸注射は効いているようで効いていない。おいおい、手術かよ。と、また暗い気持ちになる。昨年と同じことを今年もできる。そう思って生きているが、どうやらそうではないらしい。

LEICA M Typ240 / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8

LEICA M Typ240 / PENTAX Super Takumar 55mm F1.8

繰り返しているようで、毎日違う瞬間を生きている。一瞬を捉えた写真も、過去に戻ってもう1度撮ることはできないように。ライカMのようなレンジファインダーのカメラは、一瞬を捉える速射性に優れていると言われる。その理由の1つはシャッターを切った後のブラックアウトがないこと。もう1つはマニュアルフォーカスでピントを目測で合わせられること。2番目の理由についてはある程度経験が必要なのと、レンジファインダーというよりマニュアルレンズの特長と言い換えることもできる。しかし、そういった事情は僅か数年で変わるもので、オートフォーカスが凄まじく速くデータ処理も進化した最近のカメラと比べて、レンジファインダーのライカが速射性に優れるとは言い難い。撮りたいと思ったものを速く撮れるかどうかは、機材のスペックや様式以上に機材と自分の相性によると思える。自分にとって動きやすい服を着ていないと俊敏に動けないのと同じだ。

LEICA M Typ240 / Voigtlander NOKTON Classic 40mm F1.4 SC

映像なら、動きを記録し再現することができる。そういう言い方をするならば、写真は動いているものを停止させて記録できる。ちょっと素敵な言葉を使うと「時間を止められる」ということだ。しかも写真は映像と比べて情報が少ない。情報が少ないため、切り取られた1枚の画像からその前後の時間の変化を想像することになる。見る人の作品に対する自分勝手な介入は、作品の満足度を上げる。映画より小説の方が面白いと言われることも、小説は情報が少ないことに大きな理由がある。モノクロ写真がカラー写真よりもよく見えるのも、それと似ている。状況を明確に説明するものよりも、自分のイマジネーションを補完して完成するものの方が、最終的に魅力的なものになる。静止している状態ではなく、動いているものの瞬間を切り取った場合、想像する脳が自然に動き出す。

SONY α7R2 / Voigtlander NOKTON Classic 35mm F1.4 E-mount

SONY α7R2 / PENTAX SMC Takumar 200mm F4

タクマー 作例03:PENTAX SMC Takumar 200mm F4

SONY α7R2 / PENTAX SMC Takumar 200mm F4

leica m + M-Rokkor 28mm

LEICA M Typ240 / MINOLTA M-Rokkor 28mm F2.8

瞬間的なものを捉えようとして頑張っても、うまくつかまえられない時がある。モタモタしてたらシャッターチャンスを逃すこともあるだろう。時間を巻き戻すことは不可能で、過ぎ去ってしまったものは泣いても叫んでも2度と味わうことはできない。喉を通り過ぎてしまった美味しい料理のように。

LEICA M Typ240 / Voigtlander NOKTON Classic 35mm F1.4 SC