朽ちていくもの

2020.07.29PHOTOGRPH and WOLF

OLYMPUS PEN-F / LEICA Summicron 50mm F2.0 Collapsible

枯れかけた花、錆びついた建物。そういうものを見ると「絵になるなぁ」と思って写真を撮ってしまう。何かしら特別な理由があってそうしているわけじゃないが、瑞々しい花よりもピークを過ぎて終わりを迎えようとしている花の方についつい反応してしまう。太陽に灼けて色褪せたその佇まいは、何とも言えない哀愁がある。

OLYMPUS PEN-F / LEICA Summicron 50mm F2.0 Collapsible

OLYMPUS PEN-F / LEICA Summicron 50mm F2.0 Collapsible

終わりかけたものに反応してしまうのは、ただ単に自分が歳食ったからかもしれないし、元来そういう性格だっただけかもしれない。いつだったか実家に寄ったときに、自分が高校生の頃に描いた絵を母親が引っ張り出してきた。それは黒人の爺さんがギターを弾いている絵で、我ながらシブイ選択だなぁと苦笑いした。好きな音楽もアメリカンロック、ジャパニーズロックを経て、ひと昔前のR&Bやブルースに落ち着いた頃だ。酒も煙草もセックスも味を知ったのは18の終わりで、蛍光灯ではなく白熱灯のオレンジ色の灯りで部屋を照らし、オールディーズやトムウェイツ、ボブ・ディラン、ビル・エヴァンスの音楽を聴きながら黄昏れる地味でシブイ青春時代だった。音楽も、どういうわけか最新のものより少し前のものの方が落ち着く。その傾向は、20年以上前も現在も変わらない。

LEICA M Typ240 / MINOLTA M-Rokkor 28mm F2.8

オールドレンズを好んで使っているからと言って、何もかも古けりゃいいというわけじゃない。薄汚れて不潔なものはできれば触りたくないし、処理速度の遅いパソコンよりも小気味よく動く新しいパソコンの方が好きだ。僕だけかもしれないが、グラフィックデザイナーの仕事はマウスやキーボードを激しく操作する。もう20年以上前になるが、当時のマッキントシュは処理が遅くて機械の作業が追いつくのを画面の前で待っていることが多かった。ファイルを保存するのにも数分かかり、その途中でデータが壊れてしまい何日もかけてつくったデザインをゼロからつくり直すなんてことも日常的にあった。あの頃のパソコンは本当にしんどかった。あれをもう1度使ってみたいとは、間違っても思わない。

音楽にしろ、オールドレンズにしろ、それらの現役時代を知らない世代なので、決して青春時代を懐かしんでいるわけではない。ビートルズにしろ、Mロッコールにしろ、僕が知ったのはそれらが既に「古く」なってからだ。古くなっても夢中になれるということは、時代を飛び越えるだけの魅力があるはずだ。古くても許せるのは、そういうものに限る。

SONY α7S / MINOLTA M-Rokkor 40mm F2

最盛期を終えて…ということでいうと、昨年は急速に体が老化した。膝の軟骨がダメになり、老眼が一気に進んで、歯が1本なくなった。「老化を止めることはできない。急速に低下してしまうか、日々気をつけて緩やかに低下するか、そのどちらかです。」という医者の的確な表現が頭の中でリフレインしている。10年経っても若いままね、という人は他人にはわからないくらい「緩やか」だということなんだろう。僕の目と歯はどうにもならなかったが膝については、走らない、機敏に動かない、姿勢をよくして内股を意識する、という自分で勝手に編み出した3原則を守ることによって、ほとんど痛みを感じることがなくなった。どうもガニ股はよろしくないらしい。坊主頭も飽きてきたね、ということで今年に入ってから髪を伸ばしてみたものの、どうやら後頭部が「やや薄」だと判明し再び坊主頭に戻す。薄毛を気にするくらいなら、髪など不要だ。

花も人も必ず朽ちていく。それはきっと、生命が終わることに意味があるからだろう。我々が「食って出して、また食って出して」という営みで生命を維持しているように、地球という生きものも始まりと終わりの代謝を繰り返している。始まるためにはやはり終わることが必要で、魅力的なものも、大して魅力のないものも、終わっていくことで同じような価値を持つことができる。素朴な疑問だが、最盛期が最も美しいと誰もが疑わないこの世界で、朽ちかけの花が美しいのは矛盾に満ちている。老いた花にしかない存在感?それとも朽ちていく儚さからくる色気?シワくちゃの老人が絵になるように、終わりを迎えようとしているものには、普遍的な何かが潜んでいるように思えてならない。

OLYMPUS PEN-F / LEICA Summicron 50mm F2.0 Collapsible